
私の「奥島」という苗字。
子どもの頃は、あまり好きではなかった。
できれば、田中さんや鈴木さんのように、よくある苗字のほうが親しみやすいし、書きやすい。
テストのたびに「奥島」と書くのは少し時間がかかる。
それだけで、なんだか損をしている気がしていた。
「奥」という響きも、どこか奥に引っ込んでいる感じがして、人見知りだった自分の性格と重なり、ますます好きになれなかった。
けれど結婚して苗字が変わったとき、最初は新鮮で嬉しかったのに、同時に少し寂しさも感じた。
苗字が変わったことで、旧姓への愛着が湧くとは、自分でも驚きだった。
奥島家とのつながりを、ちゃんと持っておきたい。
そう思い、家系図を作ってみようと調べ始めた。
市役所に手紙を書き、除籍謄本を取り寄せて家系図を作ったという人の記事を見つけ、私も見よう見まねで請求してみた。
当時はまだAIもなく、ネット上に奥島家にまつわる情報はほとんどなかった。
戸籍をつなげただけの状態だったけれど、父方は文政2年まで辿ることができ、ひとまず家系図らしきものは完成した。
父にご先祖様のことを聞いてみたことがある。
「当時、覇権を握っていた名家に嫁いだ人もいたし、海賊だった人もいたらしいよ。」

海賊。
歴史上の“海賊”は、水軍とも呼ばれていたようだ。
それから長い年月が経ち、最近になってYouTubeで古代日本の歴史を辿るチャンネルを観るうちに、自分の先祖はどこで、どんな暮らしをしていたのだろうと、改めて強く思うようになった私。
実は、新陰流剣術を習っていた頃、苗字から歴史を辿るのが好きな先輩がいた。
当時、「奥島さんの苗字の歴史を調べてもいい?」と聞かれ、承諾すると、
「とても古くからいる氏族だと分かった。」
と言われたことがあった。
除籍によると、先祖は代々、滋賀県甲賀の隠岐という場所で暮らしていたことが分かっている。
その話をあらためて先輩に伝えると、こう教えてくれた。
「奥と沖、奥と隠岐は、昔は同じように読まれていたことがある。
沖島は水軍の拠点だったし、甲賀には忍者の隠岐氏がいる。
もしかしたら、どこかで繋がっているかもしれないね。」

断定はできない。
戸籍は、そこまで語ってはくれない。
けれど、想像は自由だ。
湖の上で生きた人がいたかもしれないこと。
甲賀の里で忍びのように暮らした人がいたかもしれないこと。
そう思うと、奥島という苗字が、急に立体的になった。
最近はAIにも調べてもらった。
すると、隠岐城を拠点とした隠岐氏の歴史や、「隠岐」から「奥」「奥島」へと変化・併用された可能性、沖島の水軍との関係などの情報が出てきた。
もちろん、それが直系の証明になるわけではない。
けれど、代々その土地に暮らし、甲賀忍者の代表格の家との婚姻関係を結んで来た事実は、戸籍が確かに示している。
紙の上で辿った名前の先に、城跡や寺や湖がある。
大岡寺周辺の隠岐城跡。
甲賀流忍術屋敷。
琵琶湖の沖島。
いつか、アメリカにいる姉が帰国したら、一緒に滋賀県を旅してみようと思う。
子どもの頃は嫌いだった苗字。
けれど今は、少し誇らしい。
名前はただの記号ではなく、
誰かが生き、戦い、湖を渡り、家を守ってきた時間の積み重ねなのかもしれない。
そう思うと、「奥島」と書く時間も、悪くない。

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